パレルモで起こったシチリアの晩鐘

パレルモで起こったシチリアの晩鐘

143月

Buon giorno!

今回は、パレルモで起こったシチリアの晩鐘について書きたいと思います。

※写真はWikipediaより引用(フランチェスコ・アイエツ作)

1282年3月30日、復活祭の後の月曜日にパレルモで起こった事件で、

絵画やオペラの題材になっています。どういった事件かというと…

この時代のシチリア王国は、フランスのアンジュー家が支配していましたが、

地元の人達は、彼らから強引に食糧や家畜を徴収され、不満が溜まっていました。

そして、事件当日の夕刻のミサ時に、地元の人達が教会に集まっていたところ、

アンジュー家の兵士がシチリアの女性にちょっかいを出そうとします。

ちょっかいを出された女性の夫 が、激怒し、

(父、兄、弟という説もあり)

ちょっかいを出したアンジュー家の兵士に襲い掛かります。

その事をきっかけに、 他のシチリアの人達もアンジュー家への不満を爆発させ、

次々とフランス系住民に襲い掛かり、殺すという暴動に発展し、

なんとその暴動はパレルモからシチリア全土にまで広がっていきます。

その暴動が始まった時に、ちょうど夕刻のミサの鐘が鳴っていたことから、
この事件は シチリアの晩鐘と呼ばれるようになりました。

ローマの教皇もアンジュー家を助けようとしますが、

シチリアの人を助けるために辿り着いたスペインのアラゴン家と激しい戦いになり、

最終的にはアラゴン家の勝利。シチリアはアラゴン家の支配、

南イタリアを支配していたアンジュー家は、シチリア以外の南イタリアを支配するようになりました。

これがナポリ王国の始まりです。

さて、シチリアの歴史の中でも大きな転機となったこちらの事件、
パレルモのサント・スピリト教会の前で始まったとされています。

サント・スピリト教会は、1178年のグリエルモ2世が統治していた時に作られました。

現在は、サン・スピリト墓地の中にあるこの教会ですが、

建てられた当時は周りには墓地はなかったそうです。

世界遺産に登録はされていませんが、

こちらもアラブ・ノルマンの建築様式にゴシック様式も混ざっています。

写真でもわかるように、黒い石が使われていますが、

こちらはエトナ山の溶岩です。

縞々模様が独特な雰囲気を醸し出してますよね

こちらは内部の写真。内部は質素ですが、頑丈な作り。

外から見た後陣。

パレルモで起こったシチリアの晩鐘

こちらは、外から見た側面部。

パレルモを訪れた際は、シチリアの歴史に残る事件が起きたこちらの教会にも

ぜひ足を運んでみてください!

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