パッティの大聖堂2(シチリア王国初代王ルッジェーロ2世の母の墓)

パッティの大聖堂2(シチリア王国初代王ルッジェーロ2世の母の墓)

215月

Buon giorno!

月曜からやっと黄色ゾーンになったシチリアでは、

移動制限や、レストランでの食事が可能になったので、

ショッピングモールや、バール、レストランが平日でも大盛況です。

今まで我慢してきたので、外出が少しでも自由になった事に

みんな喜んでいます。しかし、ちゃんと対人距離やマスクの着用は、

個人個人がまだまだちゃんと守っているという印象でした。

イタリア人、真面目!(笑)

さて、今回は前回に引き続き、パッティの大聖堂についてです。

(前回のブログのリンクはこちら)

ウィキペディアより引用

今回は、シチリア島が一番栄えていたアラブ・ノルマン時代の

シチリア王国初代の王、ルッジェーロ2世の母の

アデラーシアの墓についてです。

前回のブログに出てきたパッティ出身の聖人、

聖フェブローニアの祭壇のすぐ左側にその墓はあります。

ちょっと隠れた場所にあるので、最初どこにあるのか分からず、

教会の事務所まで行って教えてもらいました(汗)

このアデラーシア女王は、シチリア大伯爵ルッジェーロ1世と結婚し、

3人の子供を授かります。長男シモーネがまだ8歳の時に

ルッジェーロ1世が亡くなり、シモーネがその地位を受け継ぎます。

しかしまだ若すぎるため、母のアデラーシアが摂政として政治に関わるようになります。

かわいそうな事に、このシモーネは12歳で亡くなってしまい、

続いて次男のルッジェーロ2世が引き継ぎますが、

ルッジェーロ2世も、この時まだ10歳。

引き続き摂政としてルッジェーロ2世が17歳になるまで政治に関わります。

息子が大きくなったので、摂政を引退しますが、

邪魔にならない程度に息子のフォローに回ります。

その時に、エルサレム王と政略結婚の話が出てきて、

息子(ルッジェーロ2世)を将来エルサレム王にすることを条件に再婚します。

が、このエルサレム王は実は彼女の持参金目当てで、

軍事のための借金などの返済に彼女の持参金を使い果たした4年後に

2番目の妻との婚姻関係がまだ残っているやらなんやらといい、

結婚破棄の申請をします。

なんとひどい話だ…

傷心のアデラーシアはパレルモに戻りますが、

政界から引退し、パッティのバルトロメオ教会に移動し、

1118年に亡くなるまで、修道院で過ごしたとか。

残念だったのは、その後1130年に息子のルッジェーロ2世が

念願の初代シチリア王になる姿を見届けれなかった事ですね…

彼女の棺の像も表情は腕に隠れて見えないですが、

心なしか残念さを物語っているような…

では、今回はここまで!

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